ようこそ、じょんのび庵ZENへ。

古民家の改修4

2011年春

古民家の改修4


2011年 5月

今年も新潟のスーパーで買い物を済ませて
車が信号待ちで止まっていると
後ろから師匠が車から降りて、前方にいる僕の車へ
顔を見せてくださいました。

僕達は、半年ぶりの再開を喜び合い、
今年の新潟生活が劇的に始まりました。

2011年春

5月の連休が終わった後、ようやく家の前の
雪が解けたとの連絡で、
やって来ましたじょんのび庵。

今年はいつまでも寒くて、じょんのび庵へ来るのが
遅くなってしまいました。



でも、畑には、じょんのびカエルが元気に
飛び跳ねて、かわいい姿を見せてくれました。

畑のもみじ



畑のもみじが黄色の葉を茂らせています。
今年の冬の大雪で、大きな枝が折られてしまい、
杉の木も、雪の重さに耐えられずに倒れていました。

でも何時もの様に水仙がたくさんの黄色の花を
咲かせています。
あたり一面いい香りが漂います。



5月の真っただ中で、山菜は終わってしまったのか
ちょっと心配しましたが、山にはたくさんのウドや
こごみ、冬菜、アケビのつるなどがあるようで、
早速、部落の方が持って来てくださいました。


畑の水仙


荷物を降ろそうとしていると、
お隣の師匠夫婦が来てくれて
畑の隅で、杭打ちがはじまりました。



なんと、師匠が前もって布団干しのための物干しを
竹で作ってくれてあったのです。

2段になっていて、上がふとん用で下にもハンガーが
掛けられる仕様で、穴が幾つもあいていました。
上は竹を半分に割ってあり、両隅に大きな支柱用の
穴が開けられていました。

作業中


組み立てが始まると奥さんの的確な指示が飛び
またたく間に組み立てられていきます。

師匠はだまって指示されるように作業していきます。
奥さんはほんに正しい事を言うので、師匠は一切
逆らうことができません。

どうやら、師匠の師匠は、奥さんだったとは
知りませんでした。全くもってスゴイ奥さんで
関心してると、あっという間に完成しました。

竹をうまく利用

実に 「すばらし~い」 布団干しです。
材料は師匠の家の竹、と木の杭2本と
太い針金などです。


釘は1本も使わず、竹のみで組み合わされています。

なにが素晴らしいのかと言うと、
重い布団を2つ干しても全くしなりません。
全てが計算済みであり、設計も見事!

上の竹は半分に割ってあるのでしならないのですね。
割らないで1本のまま使うと多分、しなってしまうでしょう!
そして、それを支えるために横竹に支柱が通る穴が
開けられていて固定されます。

師匠夫婦


上の竹は、支柱の竹の節をうまく利用されていました。
つまり、節で横竹を固定されるのです。
最後に師匠が2本の支柱の上にペットボトルを
被せてすべて完成!

おおお 雨水対策のためです。皆で拍手 「パチパチ」

お見事です。


早速、敷きふとんを2枚、掛けてみました。
ばっちり決まってます!

今まではコタツに布団を掛けて干していましたが
今日は温かくて、気持よく寝られそうです。


師匠が手間をかけて竹を加工してくれました、
こんな素晴らしい布団干しを作ってくださいまして、
本当にありがとうございます。

敷きふとんを掛けてみたが全くしなりません





そんな訳で初日からふとん干しが出来て
暖かく寝られることが出来ました。



ここしばらく天気がよさそうだし
外の作業も予定しています。


天気予報によると8日間も晴れが続くのは
とても珍しい。でも5月中旬過ぎなのに
気温が低く、朝晩は寒くていけません!
このあたり昨年とは大違いです。

でんねんさん

工事は、昨年に完成出来なかった裏のブロックの
コンクリートつめを今回完成させることと
大広間の東面の漆喰塗りも完成させなくては
なりません。


田舎にくると、やらなければならない事が
山のようにあります。次から次と出てくるので
遊ぶ時間がとれませんが、何といっても
今年最初の新潟生活なので、あきらめなければ
なりません。


地元の方は、山で山菜とりや
田植えで忙しく働きます。

(畑の葺きのとう

いつもお米を調達してくれる「でんねん」さんが
採ったばかりの山ウドを持ってきてくれました。


下の部分は白くて、柔らかく一番おいしいそうです。
生で味噌を付けて食べられるとのこと。

今まで生で食べたことがありませんが
食べてみたら、びっくりするほど水ミズしくて柔らかで
美味しく食べられました。

あけびの芽

他に、あけびの芽を油屋のおばあちゃんに
頂いたのですが、水に入れておくと
アクが抜けるそうです。時々水を変えていると
アクが抜け茶色の水が綺麗になります。


本来ある、苦みがなくなり、シャキシャキして
おいしく食べられます。

師匠に頂いた冬菜も美味しく頂きました。



さて、半年ぶりの家の中はすっかり冷え込んでいました。
早速、2台の掃除機で掃除します。


羽根だけになった蛾が見つかりました。
きっとクモに食べられてしまったのでしょう!

師匠にいただいた冬菜



掃除が終わると、電気温水器のスイッチを入れてから
抜いてあった水をタンクへ入れました。
でも何故か途中で止まってしまい、少ししか入いりません。

多分空気圧に押されて水が入らないのかも?
試しにシャワールームの「お湯」の蛇口を開けると
シャーと空気だけが出続けています。

同時に「ゴー~」とタンクに水が入りだし、
「ホッ」と胸をなでおろしました。

大広間の囲炉裏

思ったとうり、空気圧に押されてタンクに
水が入らなかったのでした。


タンクに水がいっぱいに入ったらしく
蛇口からは空気ではなく水が出はじめたので
止めてからヒーターをオンにしました。


これで夕方にはシャワーを使えるはずです。

何事も初めてやることは
様子が分からないのでこんな調子です。

なぜかあやめが・・

さて、次の日、お昼にダッチオーブン料理を作ることに。
まず、囲炉裏に薪で火をおこし、その中に炭を入れ
火を付けます。


ダッチオーブンは鍋のふたの上にも火を乗せます。
下からも上からも火を置き、オーブンとしての機能が働きます。


材料は静岡から持ち込んだグリーンペッパーソーセージと
3種類のソーセージやニンジン、じゃがいも、にんにく、
アスパラなどです。

使うDOは10インチディープなので小ぶりですが、
深い分、12インチサイズと同じぐらいの容量があります。

囲炉裏でダッチオーブン料理・・



ダッチオーブンは火加減が命で、ちょっと難しいのですが
鍋のふたからチョロチョロ湯気が出る程度の火加減が
いいのです。強すぎは、絶対だめです。



炭火をつけるのに少し手間どりましたが
何とかうまく仕上がりました。


マーちゃんは独自でパエリアを作りました。
これもなんとかおいしく出来ました。
予想以上で90点。


お隣さんにも来てもらい、
一緒に赤ワインを飲みながら食事をしました。

畑の水仙

ランチが終わったあとは作業の開始です。
裏に並べたブロックの穴にコンクリートをつめます。


バケツの中でよくかき混ぜてから
ブロック穴に入れては棒で押しこみを繰り返し
行ったり来たり。


見た目より随分とコンクリートが必要でした。
約16kgのコンクリート(砂込み)を使い完成!


作業中はブユが寄ってくるので長靴や帽子で
わきを固めての作業のため腰にきます。

ブロック作業

こんな簡単な作業でも腰が痛くなってしまうとは!
座りながらでも作業が出来るで助かります。


完璧とはいかない作業でしたが、取り合えず終了^^
家の下の土が流れ落ちてしまうことは無いでしょう。


水は、高い所から低い所へ流れるので
水路を設置するには勾配をつけなければなりません。

今までの地面より20cmも
低くなってしまったのです。

画像の説明

そのため、剥き出しになってしまった地面をブロックで
押さえこむ必要になってしまいました。

これでとりあえずブロックの穴も塞がれたので
水にも強くなったはずです。


それにしても昨年までの地面が
ぬかるんでいることが無くなったので、
乾燥しているのは実に気持がいいものです。


ココだけでなく水路がある近くは
すべて歩きやすいくなりました。

画像の説明

お金をかけただけのことはありますね。

屋根に設置した雨トイもかなり効いています。
しかし雪の重みで、雨トイ枡の一部が
割れてしまいました。

雪国ゆえのことと
あきらめて取り変えはやめておきます。


半年振りに見た水路は、土がたまり、
その上には杉の実と葉がいっぱい
積もっていました。


それらを全て取り除き、綺麗に
スッキリ!!

部屋の東面

外はこれでOKとなったので、
大広間の漆喰塗りを今回で完成させるつもりです。

昨年からやり始めた漆喰塗りも、残るは
部屋の東面だけなので今回、
全て終わらせてしまうつもりです。



昨年は漆喰を塗る前に、ボンドを壁に塗って
乾いたあとに漆喰をぬっていたのですが、
下壁がはがれてしまう事がありました。

壁砂落下防止剤

今回は、なんとかしたいと思っていました。
たまたまホームセンターで壁砂落下防止用の
液体を見つけ静岡からそれを持ち込み
使う事にしました。


まず霧状にして吹き付けます。しかし霧吹きは
100円ショップのものなので、カラ打ちばかりで
うまくいきません。
(100円だけのことはありますね)


その上その液体の匂いがきついので
マスクとメガネで防御しつつ、

東面の壁漆喰塗り

なんとかだましだまし吹き付けてから
乾くまで30分ぐらい待ちます。


そのあと漆喰を塗りはじめますが
今回はボンドとは違い、塗っている最中に
壁が取れることなく塗れます。


おそらくボンドは水に弱いためでしょう!
なにしろ、漆喰は常に水を足し、
超柔らかくするとうまく塗れます。
水分過多なのでボンドが解けちゃうのかもしれません。

漆喰を塗った所とこれからの所

失敗したから発見できたのですが・・
下壁がしっかり付いてるので
塗り易くて気持よく出来ます。


と、言っても、職人さんみたいにうまくは
塗れませんが素人なりに塗っています。

何年も経っているので、砂のようなものが
落ちてくるのを防ぐ事と、
湿気の調整効果を期待して
塗っているからです。

漆喰は見た目も白くて綺麗になるのが、
なんとも気持いい。

漆喰塗り

漆喰を塗る上で、一番大変なのは
テープで養生するのですが、
塗り終えたあと、テープを剥がす際
漆喰まで剥がれてしまう事です。

そこで再度、指で調整します。

剥がす時のタイミングも乾燥しすぎると
割れてしまい、テープが剥がせなくなります。

おまけにすででやったので、
指の皮がむけて出血し痛い目にあいました。
(トホホ・・・)

作業する時は薄いビニール手袋をつけて
やることをおすすめします。

完成してカゴを取り付け完了

そんなこんなで4日がかりで東面の漆喰塗りが完成し
これで広間の壁、4面全部がやっと完成しました。

今夜は一人、壁を見ながら
赤ワインで完成祝いとしよう。

ここまでやるのにこの家を購入してから
6年かかりました。
思い起こせば感慨ひとしお!

思ってた以上に古民家再生というのは
大変でした。

ようやく家らしくなりつつあります。
ということは、まだまだやりたいことが
あるのですが、あとはボチボチとやりますか。

画像の説明

今年から7年目に突入し、この間で
老朽化したところも出てくる始末に。

屋根のトタンに錆が浮いてくるし
雪囲いの十手は錆びてくるし。
やることに暇はないけど
少しずつやろうと思う。

最近は自分で出来ない事も多く有り
その場合は業者さんに頼むことにしています。
大屋根根塗りは業者さんにやってもらう予定。

でも「じょんのび庵」に来ると、
風の音、鳥の声、木々の香り・・・
信じられないほど癒されます。
自然に囲まれていることの幸せ・・・

じょんのびカエル

じょんのびカエル達の合唱は、
まるで天子の歌声です。
あ~極楽・極楽!^^*

てなことを考えながら3時までに
急いで完成させないとたいへんだ~。

実は3時に部落のおばあちゃん達が
お茶にやってくるので何とか終わらせたい
と思っていたのです。

ぎりぎりセーフで間に会いました。

玄関踏み台

おばあちゃん達が帰ったあと
玄関のヒノ木の踏み台を少し塗装して
味を出すことにします。

もう、分かっているかも知れませんが
墨汁を薄めて塗ります。

最初うすくして、少しずつ濃くします。
そうです。濃すぎないようにするためです。

ほんとはこのあと、油をたっぷり塗るのですが、
滑ると危険なので洗剤で洗い、
滑らないように何度も洗いました。

色ずけしたヒノ木

今までとは見違えるほど
味が出て、感じが良くなりました。


近所の奥さんが来た時、目ざとい人で
踏み台をほめられました。

あまりにも
自然な出来なので、塗装したことは
気ずかれない程です。

次の日、朝一番で師匠が来て
うちの下の畑を使ってくれるとのことに
なりました。

杉の葉を集めて取り除きます。

家の前の畑はうちで花を植える事にしました。
とりあえず、下の畑で師匠がジャガイモを
植えるそうです。


畑は使わないでいると、
すぐ草ぼうぼうになってしまうので助かります。

今までは、向かいのチョ-スケさんに
使ってもらっていたのですが、
手や足の痛みが再発し
畑仕事が出来なくなってしまったのです。

耕す前に、師匠が歯が沢山ある特殊なクワで
杉の枯れ葉などを取り除きます。

「でんねん」さんがヌカを撒いてくれた後、
機械で土を耕します。
師匠が機械で耕すと、

下の畑を機械で耕す師匠

硬くなった土が、びっくりするほど
「フワンフワン」になります。


小さなトラクターですが、師匠のトラクターは
キャタピラー式なので自在性があるものですが
大きなタイヤ式のものもあります。


タイヤ式は早い作業が出来るようですが
湿った土地では、タイヤが潜り易いようです。

師匠が機械で下の畑を耕しています。

ついでに前の畑も機械で耕してくれましたので
「ひまわり」と 「コスモス」のたねを
まーちゃんと蒔きます。

タネを蒔くには専門のクワがあり
師匠に借りました。

これは扇状になっていて
真ん中はくりぬきがあります。

どんな機械も持っていて
無い物は、無いといったところです。

画像の説明

畑の真ん中には「ラッキョウ」が植えてあったので
それを残してうまく耕すことにあい成りました。


ここの畑には昨年までは、大きな桐の木が2本
有ったのですが、桐の葉は野菜を育てるのに
悪さをするため、残念ですが、業者さんに切って
もらいました。


部落のおばあちゃんが
知り合いにたのんでくれたのです。


桐の葉は大きくて落ちる葉が
土を酸性にしてしまいます。

たね撒きの準備作業するまーちゃん



切るのは無料です。
きっと桐の板を取るためです。
枝うちされた木枝が隅にまとめてありました。


でも木が無くなるのは
寂しいものがあります。

畑仕事をする私です

タネを植える時は買ったタネ袋の下を
ハサミで切り取り、植えたところに棒を立ててから
その袋を被せました。

そのあと、水をたっぷりとジョ-ロで撒きます。
来月、元気に芽を出しているのでしょうか?


このところ改修作業ばかりしていたので
ご褒美にドライブをしました。

小国を通って、長岡へ
そして小千谷へ車を走らせました。

けやき屋

田んぼには田植えしたばかりの
小さなイネが植えられていました。

あまりにも小さいので良く見ないと
見えないほど「かわいい稲」です。

昨年にも行った事のある「けやき屋」に
寄って見る事にしました。

大きな倉庫にたくさんの古民具などが
あります。流石に商品はまったく入れ替わり
興味をそそります。

ここでは江戸時代と思われる
木の彫刻の一部分を購入しました。

木彫とおぼん

良くお寺や神社などでみられるもので
デザインがシンプルで美しく
形の想像力を掻き立てるものです。

こういったもののほとんどが
「けやき」の木が使われているのは
長年の風雪に耐えられるようにとの
あらわれでしょう。

他にも木の丸い「おぼん」と焼き物の
「どんぶり」5個セットです。

「どんぶり」はめったに見かけられない
深い鉢のようで、鯉の絵付けのみです。

木彫品とおぼん

これは使い道が多くて、何にでも会いそうです。
シンプルで良い物でした。
このどんぶりは静岡で使う予定です。

「おぼん」は古いもので味が出ていて
囲炉裏回りにピッタリ合うでしょう!

ついでに写真を乗せておきますが
これは師匠の手作りの作品で
お茶の道具の「柄杓」です。
頂きました。

お茶道具

師匠はお茶道具に関心が高く、
少しずつ揃えているようですね。
ほとんど茶人でしょう!

名を「力右」といいます。
呼び名は「りきゅう」さん
私が命名しました。

さて、「けやき屋」さんを出たあとに
さらに長岡方面へ車を走らせると、
右側の山上に巨大な建造物が現れました。

早速、行ってみる事にし、近くのコンビニへ
入り、行き方をお姉さんに尋ねると随分親切に
教えてくださいました。

ほうとく稲荷神社

なんでも○○稲荷神社というようです。
道順を訊いて向かいます。

山を少し上り、山の頂上に出ると
広大な土地があり、そこには
巨大な赤い神社がありました。

車の大きさと比べて如何に大きいかが
分かるでしょう。
その上、敷地の広さも普通ではありません。

新潟ゆえの土地の使いかたです。
後から師匠に尋ねると、「ほうとく稲荷神社」といい,
商売の神様が祭られているそうです。

地元では七・五・三などの時なども
お参りするとの事でした。

画像の説明

それにしてもこんな山の上に広大な
土地があるとは驚きです。
回りを見渡すと畑があったり
道があったりしています。

ここへ来たお客は私たちだけで、
他には誰も見当たりませんでした。

そうそうに山を降り、長岡方面へ
車を走らせます。ナビの長岡駅に向かい
まっすぐ川を左手にみながら走ります。

やがて以前来た長岡駅前に到着。
ナビのありがたさを実感!
おそらくナビが無ければこんなに
スムースに到着出来ないでしょう!

お昼の食事は小嶋屋さんで冷たいお蕎麦を
食べる事にしました。

駐車場に入ると係りのおじさんの指示で
車を止めたのですが、
白線に沿わず、斜めに止めてしまいました。

おじさんに「ごめんね~」って言うと
おじさんは、あやまりながら、

「車はまっすぐですよ!」
「白い線が斜めなんです」っと言うのでした。

何としゃれたおじさんでしょう!
おじさんの優しさに感謝!

当日は気温が上がっていたので
冷たいソバがなんと美味しかったことか。

駐車場に戻り、おじさんにお礼を言うと
帽子を取り、深ぶかとお辞儀され、
「ありがとうございました~」と
言ってくれるのでした。

車はやがて小千谷に向かい、駅近くの
古美術やに寄ったのですが、店は開いているけど
店主が不在なので、断念して十日町を通り
我が家へと帰りました。

明日は古民家の里、富山県の五箇山へ
行きます。師匠が連れて行ってくれるというので
とても楽しみです。

テーブルの足に角材を取り付けて高さ調整

その前にやることがありました。
貼り板テーブルの足が低すぎて不便でしたので
足に角材を取り付けて高さを上げます。

貼り板は昔、私の母が使っていた物で、
布を糊ずけで洗ったものを板に張り付け干し、
まっすぐに延してから着物などを
縫うためのものです。

こどもの頃、私がおすべりとして
よく遊んだものですが
いまではここでテーブルとして
再び活躍してくれています。

足は最近、フリーマッケットで
購入したもので、さすがに
良く出来ていて安定して使いやすいもの。

テーブルの足のかさ上げで使いやすくなりました。

移動したり部屋の掃除の時でも
自在に動かせるすぐれものです。


翌日、二人には初めての富山県五箇山へ
師匠に連れて行って頂きました。









富山県 五箇山


朝、7時30分出発。
天候は曇り。

北陸自動車道で富山方面へ向かいます。

ここから五箇山までは高速で約3時間。
途中、サービスエリアで1回
休みました。

糸魚川に近くなると、ぽつぽつと雨が降り始めましたが
師匠の奥さんが乗っているので心配ありません。

画像の説明

どこへ行く時も必ず晴れる「晴れ女」だそうです。
車が富山県に入ると、蔵がある古い家が増え始め
文化の違いが想像出来ます。

屋根の瓦は、ほとんどの家が黒く統一されているし、
隣りの家とは離れていて、広々と感じます。

車はやがて小矢部・栃波ジャンクションを左に抜け、
東海北陸自動車道へ入りました。

この道は名古屋方面へつながっているのですが
五箇山ICまでは直ぐでした。

インターを出るとすぐ左手に
世界遺産、菅沼合掌作り集落がありました。

画像の説明

車は湖を左にさらに進みました。
決して濁ることのない静かな湖面には、
深い緑の山々と鮮やかな青空が映し出され、
まるで時間を切り取るように小さな観光船が
ゆっくりと横切って行きました。

桂湖を目の前にしたとき、
そこには音ひとつない
静寂な世界が広がります。

やがて山を登り始めると
世界遺産、相倉合掌集落へ到着。

とうとう到着しました。
師匠!運転お疲れ様でした。

駐車場には予想した通り
車がたくさんあり、人気ぶりがうかがえます。

師匠夫婦

気が付いて見ると天気はすっかり晴れていて
気温も上がって暑い日に!

世界遺産を見るのは初めてなので
早速、記念に写真を撮りました。

駐車場の後ろには茶店があります。
この家も世界遺産なのでしょう!

集落の左右に山があり、それに沿って
合掌作りの古民家がポツポツとあります。

画像の説明

この集落は、国定指定史跡であり、
世界文化遺産として登録された文化財保護地区で
地域住民60人が現在も生活をしています。

ここは天然のブナ林に囲まれて、
20棟の合掌造りが現存しており
五箇山の長い歴史と伝統を伝えています。

人類のかけがえのない財産として残しておきたい
貴重な集落といえます。

集落の方はみなさん民宿をされていて
生計を立てているようです。

歩き始めてすぐに茅を葺き替えている家が
あったのですが屋根の大きさに圧倒されます。

茅の葺き替え

畑や田んぼがあり、昔の農村風景が広がります。
お土産を売っている所もちらほらと!

のんびりと奥へ進みました。
茅葺きの家は似ていますが微妙に
違います。

古民家は一つとして同じ家が無いのです。

どの家も、中を見る事は出来ませんが、
相倉民族館に入りました。

画像の説明

1号館と2号館があり、それぞれ
中にはおばちゃんがいて、色々説明をして
くれます。


五箇山の歴史は、深山幽谷の辺境にあった
その地利的条件が加賀藩の機密保持に適したことから
この山里は永く閉鎖的な環境におかれ、
生活様式の特殊性を余儀なくされてきました。


五箇山の風物を代表する合掌造りはこうした
秘史と厳しい自然とが結びついての遺産であると
いわれています。

画像の説明



相倉民俗館の施設では衣食住の日常用具、
塩硝・和紙・養蚕などの産業を支えた道具
そして雪国の生活にまつわる道具を
数多く展示し、公開するとともに
文化財として守り続けています。


合掌人が受け継いできた暮らしの知恵と
創意がうかがえます。


そして謙虚でひたむきで力強い人間の
生き方があります。

合掌造り

合掌という言葉が祈りの一つの形式であることに
精神的な意味合いが刻みこまれているようです。


天を仰ぐようにそびえる合掌の屋根は
自然の偉大さに祈り続けたのでしょうか?


釘や筋交いなどを一切使わず、丸太を「荒縄」や
「ネソ」といわれる自然素材で結わえた合理的
建築工法は、何百年もの風雪に耐えてきたのです。


それに加え、囲炉裏の煙で縄は堅くなり
防虫や防腐の役割もあります。

ネソでしばる

梁や柱の漆黒の黒光りは、歴史の艶なのです。
雪深い気象条件の中でのくらしは
自給自足をたてまえとされ、民具には
明確な合理性がありました。


僕達が見るそうした民具には
想像することの出来ない深い想いと
恒久的な頑強さを誇っています。



そして、ものへの愛情を私達に教えてくれます。

民具

2号民族館ではおばちゃんが、
あの「こきりこ節」を謡ってくれました。
ココにきて初めて知ったのですが
「こきりこ」とは竹の棒2本で
カチカチと音の拍子をとる道具です。

そして今まで「こきりこ」と思っていた
両腕で音を出すものは「ささら」という
そうです。

ハネガイ

そうです!あのアーチ状のものです。
あの「ささら」は板が108枚も縛ってあり
あれがぶつかり合い、「ガチャ」っと
音がでるのです。

108の煩悩と関係あるそうです。
あの音とともに煩悩を消そうと言うのでしょう!
そんな願いが込められていたなんて、
本当に驚きました! 


ささら

一方、「こきりこ」は竹で出来ていて
「7寸5分じゃ」という唄のとうりで
約30cm(1尺)に満たない大きさです。

こきりこは、「筑子」、「小切子」とも書き、
二本の竹で作った簡素な
楽器の名前に由来していると言われます。

これを手首を回転させながら打ち鳴らすと、
軽やかな音を出します。

私もやってみましたがうまく手首を
回転させることが出来ませんでした。

画像の説明

地元の方がやると、うまく回転させ、
とても美しいものです。

また、
竹の板を束ねて半円に構えて波打たせて鳴らす
「ささら」の不思議な響きも耳に残ります。

鍬金(農耕用の鍬を
打楽器として打ち鳴らすもの)や
太鼓も田楽のころから変わらず
こきりこ節の伴奏を奏でています。

小さな蔵

こきりこ節は日本で一番古い民謡です。
こきりこは田楽から派生し、
田踊りとして発展しました。

田楽や田踊りは、五穀豊穣を祈り、
百姓の労をねぎらうため、
田楽法師と呼ばれる職業芸能人たちが
田植えや稲刈りの間に行った踊りでした。

こきりこが世に知られるきっかけと
なったのは、昭和5年に詩人の
西条八十氏が五箇山を訪れたことでした。

画像の説明

このとき、すでに五箇山で
こきりこ節をうたう人はなく、
伝承され続けてきた古謡が
このまま滅び去ってしまうのかと
危惧されました。


しかし、こきりこ節最後の
伝承者山崎しいさんを
探し出すことができ、
伝承の糸を切らすことなく
今日まで受け継がれてきました。

画像の説明

一応、唄の歌詞を書いてみますので
参考にしてください。


富山県民謡

「こきりこ節」

筑子の竹は七寸五分じゃ 
長いは袖のカナカイじゃ
(はやし)まどのサンサもデデレコデン
      はれのサンサもデデレコデン

向の山に啼く鵯は 
啼いては下がり啼いては上がり
  朝草刈の目をばさます 
朝草刈の目をさます
(はやし)まどのサンサもデデレコデン
      はれのサンサもデデレコデン

茶屋

踊りたか踊れ泣く子をいくせ
 ササラは窓の許にある
(はやし)まどのサンサもデデレコデン
      はれのサンサもデデレコデン

向いの山に光るもんにゃ何じゃいな 
お星か蛍か黄金の虫か
(はやし)まどのサンサもデデレコデン
      はれのサンサもデデレコデン

今来る嫁のたいまつならば
 さしあげてともしゃでやさ男
  はやし)まどのサンサもデデレコデン
      はれのサンサもデデレコデン

画像の説明

このまどのサンサとは
窓にさんさんとお日様が当たる様子で
デデレコデンとは 太鼓の音を表現したものとか。

そんな訳で私達は越中五箇山、世界遺産
国指定史跡を歩いていると、お腹がすき出し
お蕎麦を食べたくなって山を下り、
茶屋へ入りました。

入口左手にやたら大きな「さらさ」があり
デデレコデンと置いてありました。

村上家住宅

ここで冷たいお蕎麦を頼もうとしましたが
まだここは季節が冬なのか?
熱いお蕎麦しか有りませんでした。

しかし食べてみるととても美味しくて
感激です。外の「さらさ」が3倍大きいのは
伊達ではなかったの~
ソバも3倍うまかった!

「山菜も山のものですね。おばあちゃん!」
「そうですとも。」

村上家住宅正面

おなか満足で外に歩きだしました。
ここは先ほどとは違い
少し下に降りた所で、お土産屋さんが
幾つもありました。

すぐ横には築400年の村上家住宅があり
語り部がいるというので
聞いてみることに!

中に入ると築400年の重みが感じられる
重厚な柱や梁、囲炉裏には語り部のおじさんが
「デン」と座っていて、語りはじめました。

語り部さん

茶がまには薬草が煎じられていて
それぞれ美味しく頂きました。

この囲炉裏には広葉樹と思われる太い木が4本、
斜めにおいて有り、火がチョロチョロと燃えながら
やさしい煙が家や茅をいぶしています。

家は4層になっていて蚕なども
飼われていたようです。

民具もたくさん展示されていて
いい茶釜を師匠が見つけて
遠くから眺めているのでした。

展示品

「ご自由にお持ちください」と
言ってあげたいのですが
そういうわけにも参りません。

僕もいい大鉢を見つけ出し、
あれ~ どこかで見たことの有る
大きい鉢だな~と思っていたら
思い出しました!

この前、「けやき屋」さんで見た
鉢と全く同じデザインのものでした。

あの時、買っておけば良かった~と
後悔しました。

なぜかブッダの涅槃画が・・

でも衝動買いはいけませんね。
無い物は欲しくなるものです。

五箇山では江戸時代、鉄砲の火薬である塩硝が
盛んに造られたのですが、その他に
和紙が有名です。

寒い故、品質の良い楮(こうぞ)が育つのでしょう!
和紙のお店があり、まあチャンが懐紙を買ったり
師匠は釣り用に竹の三角帽子を購入しました。

お土産屋

私が編んだ葉の形のお皿を購入しようとしたら
だめ出しがあり、あきらめました。

確かにアジアンテイストは
古民家には合わないような気がします。
結局、コキリコを購入しました。

小さいけど肉厚の竹で古竹のように古色ずけと
「こきりこ」と彫刻してありました。

お土産屋の横に橋があり、その下を緑色した
凄い量の水が流れています。

保水量が多いブナが沢山あるからでしょう!
川は、静かに音も無くとうとうと流れ、
僕らはじっと見つめているのでした。

画像の説明





そのあと僕達は一端車で
近くの菅沼へ向かいました。
ここも世界遺産合掌造り集落に指定されています。



相倉集落の全景

相倉集落に比べると家の数は少ないのですが、
見た目はほとんど変わらないようにみえます。

手前にある分、開けていて
少し広がりを感じます。

険しい山々と家が一体となり
山あいを流れる庄川の川岸にあり、
現在は9戸の合掌造り家屋が残っています。

冬は豪雪になる厳しい自然に耐え、養蚕などの
仕事場として適した住まいとして
歴史を重ね完成された合掌造りです。

菅沼合掌集落

その力強い美しさで、日本の原風景とも言うべき
山村の景観で、1995年に岐阜県白川郷、
五箇山相倉集落とともにユネスコの
世界遺産に登録されました。

合掌造りの構造は、厳しい自然から
暮らしを守る強固な造り。

生活の場と仕事場を一体化した合理的な構造。
それは日本の木造建築のひとつの到達点です。

根元の曲がった太い梁で大屋根を支えるのが
合掌造りの特徴です。

黒光りする梁

三角屋根の構造は一番強い構造であり、
降り積もった雪を自然落下させるのに
都合が良い形です。

家の梁には、山の斜面で、
重い雪に耐えて育ったナラの木を
用いてあります。

また、細い木を筋交いのようにXに組み、
ネソで縛り込む工法も揺れに強い構造です。


集落を歩いていると、日常を忘れて
のんびりと楽しめます。

野の花?

どこか懐かしい風景を心ゆくまで眺めたり
野の花にふと立ち止まったり、
いつしか、心も体も元気になっていくようです。

ここはお土産屋さんが多くて、
つい、購入してしまいます。


それらは旅の楽しみの一つであるので
それもたまにはいいでしょう。
自分で自分を納得させていますが・・

この集落にも民族館と塩硝の館があったのですが
時間の関係で入れませんでしたが
次回は必ず入って見ようと思います。

と歩いていると、どうしても血糖値が落ちてしまい
目に入ったのは甘味処。

こうなると入らない理由はなく、
さっさと4人そろって白玉小豆アイスを注文。
倒れる前に食べなくてはと急ぎます。

食べながら窓から見える風景も
絵になっていました。

甘味どころからみた風景
甘味どころ
画像の説明
画像の説明



















ご覧の通り、五箇山では田んぼには
稲が植えられていませんでした。

そのうち、田植えされて稲が育ってくると
さらに原風景に近くなるでしょう。

そろそろ帰らねばなりません。
新潟から富山の旅なので日帰りで帰れるのは
有りがたいですね。

くつろぐ師匠

あと白川郷へはもうすぐ近いようです。
何せ、次のインターチェンジですから。

今日はホントに楽しませて頂きました。
念願の五箇山を見れた幸せにひたりながら
車に乗せてもらうと、師匠がこれから
温泉に行くと言います。

このすぐ近くにも温泉がありましたが
少し離れた場所にさらに景観の良い
温泉があるようです。

お土産売り

国道156号線を北に向かうと
右に小高い丘があり、
そこが新五箇山温泉。「ゆ~楽」です。

500円で入れる、越中五箇山の
大自然を肌で感じる処です。

露天風呂は目の前が桂湖で
その向こうは険しい切り立った山々です。

広くて雄大な風景が目前に広がり
疲れも何処へやら。

休憩室で寝ころんでいたら、いつの間にやら
寝こんでしまいました。

まあチャンに起こされ、
ソフトクリームを買ってきてもらい
食べたのですが、ホント美味しかった。

これは当たり外れがあるのですが、
喉が要求したので、大当たりでした。

つうえもん夫婦

帰りの運転は奥さんが担当で、
師匠はいつの間にか夢の世界へグーグー。

帰りみちは栃波インターから高速へ乗り
夕食は新潟で食べて無事帰ることができました。

いつの間にか「我が家」も「つうえもん家」も
カエルが好きになってしまいました。

無事カエルことができました。

お二人に感謝します。
ありがとうございました。

菅沼合掌集落







6月11日、またじょんのび庵へやって来ました。
蒸し熱いはずなのに、今年は寒くて異常気象のようです。



古民家の改修5のメニューよりご覧ください。



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