ようこそ、じょんのび庵ZENへ。

古民家ぐらし19




2018年 10月



新潟へ


10月8日、久し振りに新潟へ向かいました。

諏訪SA

今年は台風が連続して天候が悪く、
水害が多発し、北海道地震と続いた為
全く動けずにいました。


日本国民にとって誠に不幸なことであった
安倍3選が決まった為か、
ようやく天候が普通になった。


気温はそれなりに暑くも寒くも無く
過ごし易いので、助かります。


今回は畑の樹々の伐採を部落の区長さんに
お願いしてあり、代金を支払います。



国道52号線を山梨の中頃まで走ると
寒くなり、シートヒーターをONにしました。
気温は12度ぐらい。

長い橋の手前にある「7イレブン」で休憩して
味噌汁を購入し、熱まりながら朝食にしました。


最近は「六郷インター」が出来たので
ここからは高速に乗りました。


いつもの「八ヶ岳SA」でコーヒーを飲んだら
諏訪SAに寄ってみます。


この季節になると、「笑い栗」を売っている
屋台が上に出て、時々購入していましたが


今回はおじさんの姿は無く
屋台もありませんでした。


でも近くの売店でなぜか「笑い栗」が
売っていたので、1つ購入!(600円)

画像の説明

車はその後、「姥捨SA」で休憩してから
「豊田飯山インター」を出ました。


ここで降りずに高速で走ればかなり
早く新潟に着くのですが


高速は楽しくないので
国道117号線の道の駅に寄りながら
行く方が楽しい。


お昼ご飯は今回、「千曲川道の駅」の
久しぶりのレストランで食べることにしました。

駐車場はいっぱいで車が置けず
空き地に置いたら、他の車も
一斉に隣に入ってきました。


画像の説明



数年振りの個々のレストランは
お客さんで混み合っていて
少し待たされました。


ここでは野菜カレーを注文。


安くて美味しく、しかもボリュームがあるので
時間がかかってしまった。

画像の説明



そのあと、野菜売り場に入ろうとしたら
レジに人が大勢繋がっていたので
パスして出発。


それにしてもここは
いつも賑わっていて困ります。?

画像の説明











十日町で買い物をしてから
じょんのび庵に着いたのは
14時過ぎでした。



画像の説明











到着してみると、予想していた通り
やたらスッキリしています。


そして家が大きく見えました。


それもそのはず、周りの木々が
根元から切られ、家が目立ちます。


草も見事に刈り取られ
綺麗サッパリとはこの事か。



家に入ってみて驚いたのは
まるで1年振りに来たみたいに
中が黒いゴミがたくさん有ります。


台風の強い風で家が揺すられたのか
黒い煤状のものが上から落ちたのでしょう。


いつもより入念に掃除をしました。





翌日

前回、もみじの樹が枯れてしまい
切ったのですが、今回は

画像の説明

大きな杉の木6本、大桐1本、
栗の木1本、細いモミジ1本
その他、色々を切りました。


というのも、家の前の道路を拡張するため
市の土地買収で敷地を取られることになり
その為に木を処分しなければならなかったのです。


樹々の伐採は市から代金が支給されるのですが
区長さんの知り合いの業者にお願いして
切ってもらいました。

桐の切り株



その為、今日は区長さんに支払いを済ませます。


道路拡張工事は来年から始まるけど
内のところは再来年工事するので


今すぐ切る必要はないのですが
毎回、杉の枯葉処理に追われてしまい

杉の切り株

綺麗にしたら帰るということで終わってしまい
いつ遊ぶの?と部落の方に言われることになりました。


そこで、少し早いけど思い切って、
樹々を伐採することにしました。


桐の大木の枝が隣の家に出ていたので
申し訳なく思っていたのですが
切って良かったです。

画像の説明

桐の葉は大きくて、落ちると
野菜の害になるので迷惑にもなります。


さぞ、お隣さんも喜んでいる事でしょう。


切り株には、それぞれお酒をあげ
今までの感謝をしました。


今まで楽しませて頂き
ありがとうございました。

画像の説明

今は、道路沿いの樹々が無くなり
スッキリ明るくなりました。


それと長助の母ちゃんのところの大杉も1本
切ったので我が家の日当たりもとても
良くなりました。



ついでに、毎回、こちらに来る前に
草刈りを頼むようにしたいと思います。

流石にプロがやると綺麗に草刈りを
してくれる。


なんでも、紐を使った草刈り方式とやらで
根こそぎ雑草を取ってしまうそうで
一度見て見たい。

さて、畑は綺麗になったものの
大きな機械が畑に入ったので

画像の説明

土が雨で流れ、
水路は砂や枯葉で詰まっていました。


金網を全て外してから土や枯葉を取り除き
配管の道路の出口は50cmも詰まっていたので
手を突っ込んで少しずつ取り除き


そのうち手が届かなくなったので
バケツにいっぱいの水を上から打ち入れたら


少しずつ流れて来て最後には
ドドドっと流れ出し、
ようやく完全に取り除けました。

画像の説明

「やったー🤗」










10時ごろに部落の区長さんが
奥さんを従えて家にやって来ました。


早速、請求書をもらい
支払い完了!

画像の説明



伐採そのものは安いのですが
そのあとの片ずけ処理が高いのは
仕方ありません。


それでも伐採&処理で約50万は安いと思います。


草刈りは家の裏までやってくれて
しかも、草の処分までしてくれたので
1万6000円は安いと思います。

画像の説明

今度からは、新潟に来る前に草刈りを
年2回ほどお願いしようと思います。


草刈りは区長さんがやる訳ではなく
なんでも部落の大工さんがやるそうで
普通の草刈り機は使わないと言う。

それにしても日当たりが良くなったので
家の周りが明るくなったのですが、

画像の説明

家の中まで陽が入り、
眩しいのが辛い時がある。


今日はくもり空で
丁度良かった。


区長さんに領収書をもらい
目出度く取引完了となりました。


因みに領収書にはちゃんと印紙も貼ってあり
これで来年、確定申告出来ます。

画像の説明



良かった良かった。








肩ツボ押し器


今回は市販のもののような
肩ツボ押し器を作ってみます。


市販品は肩の上の方しか押せないので
下まで押せるものを作ってみます。



材料はその辺にあるものを使い
あとは丸棒を使います。

材料

作るポイントは棒と角材の角度が
90度ではなく、80度ぐらいにする事です。


でも僕がやったら85度ぐらいになってしまい
スッパイでした。
スッパイは成功の元!


今回は試作という事で
次回はうまくやらねば。


まずはどんなものか
一応完成写真を
ご覧あれ。

完成品

先端の小さな突起で肩のツボを押す
のですがここがあまり細いと


肩が痛くなるので
もう少し太い材料が良いかも。


長い棒に持ち手をつけるのは
万力で固定してから少しずつ
ドリルで穴あけします。


一番のポイントは
丸棒より1ミリ小さな穴をあけ
棒を少しカッターで削り、ボンドを入れて
あとはハンマーで打ち込む事。

画像の説明



ぴったりのサイズでは
ぐらつく可能性があるので
こうしてやるとバッチリです。


棒より1ミリ小さいサイズに
穴あけする。
これがミソですね。

持ち手の塗装



それと、押す木の中心から棒の中心までの
寸法が重要なのですが、今回、測定したら
18cmありました。


使ってみた感じでは少し広すぎるようなので
16cmぐらいが良いと思いました。


角材の長さは23cmのものを使用したが
適正の長さは20cmあれば良いと思います。


そして幅は今回43mmでしたが少し重いので
34mmぐらいが良いと思われます。


それと丸棒は直径18mmが市販されているので
18mmを使用し、持ち手のところは25mm位が
良いと思います。


先端の押し付け部分は今回18mmを使いましたが
次回は20mmを使う予定です。


そして角材から先端までは32mmぐらいでした。
これはこの寸法で良いと思います。


穴あけドリル刃は17mmを使います。


それとボンドなどの接着剤を使い
棒と角材は釘1本を打ち込みます。


試作品の完成

これは棒が回転するのを防ぎます。


丸棒の長さは約43cmでした。

角材の付け根から持ち手終わりまでの
長さは45cmでしたが43cmあれば充分です。


という事ですが今回
以外にも上手く作れました。
次回は以上の寸法で再挑戦する予定です。

理想の寸法図



で、これを使うとどうなるんか?

肩こり解消して身体が軽くなる。
頭の血のめぐりが良くなり、痴呆症予防
健康増進
となれば良いのだが〜。


ホントかいな?


試作した結果、
最適と思われる寸法を
描いてみました。



次回はこの寸法で作る予定です。

区長さんに頂いた野菜












スクープ写真?


このところ天気も良いし、
町で買い物して帰ってきたら


家の前の水路に何やら茶色の尻尾が
入って行くのが見えました。

家の入り口の水路



なんだろう?と思って
水路にカメラを突っ込んで



パチリとしたら
何も写りません。


ズーム・ズームと思い切りズームさせて
写してみると
しっかり尻尾だけ写りました。

画像の説明



なので水路の前方に移動して
またパチリとしたら
目玉が2つ光っていました。


またしても、ズームON!
もちろんストロボもON!
今度は映るのか?

画像の説明

写りましたヨ。


この辺りをうろついているのは
ハクビシン?


果たしてタヌキ?
アライグマ?


尻尾が茶色かったので
アナグマということはないでしょう!





画像の説明
画像の説明










画像の説明















やっぱりタヌキのようでした!

と、思ったのですがなんか違うか?
ハクビシンの可能性もあるのですが
顔はやっぱりアナグマに一番似ています。

あなぐま
たぬき
ハクビシン







非常に分かりにくいのですが
顔を比べて見たら

結局、「あなぐま」と結論!


部落の猟師のおじさんの話では
「あなぐま」は冬に冬眠するそうで


穴の一番奥で眠るそうです。


その手前に冬眠しない「たぬき」が
間借りし、出入りして暮らすらしい。


「ハクビシン」は木の上にも登るそうで
「トウモロコシ」でも難なく取るという。
「たぬき」は上に登れないとの事でした。






長野へ


家周りの片ずけや清掃が終わったので
一応冬仕舞いを行いました。


明日、帰るのですが前日はいつも温泉へ行きます。
今回は十日町の千寿温泉へ行きました。

画像の説明



久々の夕焼けが綺麗でした。


もし来月、来られないといけないので
窓の雪囲い、シャワータンクの水抜き少々。


水道の水抜き、玄関の雪囲いをやった後
長野へ向かいました。

画像の説明

途中、信越道の駅などに寄りながら
野菜などを買いました。


今回は、津南を通り、豊田飯山まで来て
高速に乗らず、信州中野へ向かいます。


最近は、新潟から静岡まで
日帰りで帰るのは疲れるので、


諏訪あたりで1泊して
帰ります。

画像の説明



つまり遊びながら帰ります。






豊田飯山から117号線を2分ほど走ると
「高野辰之記念館」があるので
入ることにしました。


道路沿いに
看板があるので直ぐに分かりました。


到着してみると、周りの環境が
素晴らしく、小高い山の裾野に
綺麗な古民家が何件かありました。


誰でもこんなところに住んでみたいと
思う事でしょう!


屋根が青い古民家
信州中野













蔵風の建物が2つあり、その横に
大きな建物がありました。


僕たちが入ろうとした時
20名ほどのお年寄りグループが
出てくるところでしたので

画像の説明

待ちながら周りの風景を楽しむ事が
出来ました。


この開けた空間と自然が調和し
何とも言えない幸福感を感じる事が出来ます。


入り口に向かい歩いて行くと
右側に高野辰之の銅像がたたずんでおりました。

高野辰之



かつて高野辰之が学び、
教鞭(べん)を取った永江学校・
永田尋常小学校の後身の
永田小学校の跡地にあります。



この永江の地区内には辰之が
遊んだ場所を巡る遊歩道があります。


敷地内には小川が流れ、
当時を忍ばせます。


館内には、辰之が父に宛てた書簡や
編纂に携わった尋常小学読本、
尋常小学唱歌などを展示。

高野辰之記念館

音楽室にあるオルガンは
誰でも弾くことができ、
「春の小川」などの楽譜も用意されています。


また周辺には、辰之の生家、
菩提寺の天正寺、「朧月夜」の


鐘がある真宝寺、斑川、
ふるさと橋などをめぐる

遊歩道が整備されています。
辰之が目にした風景を眺めながら、

ふるさとの原風景に
ふれてみてはいかがでしょう。

高野辰之

記念館の中は撮影禁止なので
写真は撮れませんでした。


国文学者 高野辰之は
偉大な功績を残しました。

 厳しい父のもとで躾けられた辰之は、
農業の手伝いをするかたわら、


土蔵に隠れて本をむさぼり読むという
向学の志にあふれた少年でした。



高等小学校を卒業後、
母校の永田尋常小学校の代用教員を務め、


その3年後には長野県尋常師範学校
(現信州大学教育学部)に入学。

画像の説明

この頃から、
千首あまりの和歌を作っていたといわれます。


26歳の時、上田万年文学博士(円地文子の父)を
頼って上京。


博士のもとで国語、国文学の研究に没頭し、
やがて「文部省国語教科書編纂委員」に選ばれて、



国文学者としての地歩を固めていくのです。
国が初めて発行した

画像の説明



国定音楽教科書「尋常小学唱歌」を
編纂する一方で、


「故郷」
「春が来た」「紅葉」「朧月夜」などの唱歌、
全国の校歌や中山晋平作曲の「飯山小唄」などを作詞。


 明治後期からは、「日本歌謡史」「江戸文学史」
「日本演劇史」を次々と書き上げ、

高野辰之の三大著作

これらは、高野辰之の三大著作として
近代の国文学に大きな功績を残しました。


大正14年に東京帝国大学から
文学博士の学位を、
昭和3年には帝国学士院賞を授与されています。




故郷(ふるさと) 
 作詞:高野辰之 作曲:岡野貞一


兎追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
 夢は 今も めぐりて
 忘れがたき 故郷(ふるさと)

如何にいます 父母(ちちはは)
恙(つつが)なしや 友がき
 雨に 風に つけても
 思い出ずる 故郷

志(こころざし)を はたして
いつの日にか 帰らん
 山は 青き 故郷
 水は 清き 故郷



この歌を聴くと、
人々は、故郷を想い出し、


それぞれの故郷の情景が浮かんでくる、
日本の歌・ふるさとの歌を代表する歌であり
日本人の原点ともいえるであろう。

画像の説明

作詞の高野辰之の幼少時代を過ごした
故郷の風景・望郷の思いを描写したと伝えられる。


兎を追った山は、大平山・
小鮒を釣った川は斑川であるという。


作曲の岡野貞一は、鳥取出身で、
高野とコンビを組み、小学唱歌の中の名曲を手がけた。


こよなく愛し故郷の砂丘をイメージし
作曲するときには思い浮かべたであろう。

りんごの樹



砂丘を愛した様を岡野の様子を
夫人から聞いた話を「教育音楽(1988刊)」
の紹介している作家の鮎川哲也がいっている。


この歌は。大正五年(1914)「尋常小学唱歌(六)」に
はじめて登場した。


歌碑が、作詞:高野辰之の出身地豊田村に、
岡野貞一の出身地鳥取市の久松公園入口にある。


因みに鳥取のキャッチフレーズは
「山青き水清き ふるさと 久松山」であるという。


高野辰之は唱歌だけでなく、
驚くことに日本全国にある数多くの
学校の校歌も作詞され、今も歌い継がれています。


高野辰之は、校歌であれば建学の理念を、
唱歌であれば人間の喜びや悲しみを


如実に表すなど、物事に込められた
人の心や思想を非常に重要視していました。


人の想いや豊かな風景は美しい詞で表現され、
多くの人の心を今もなお、惹きつけています。


2016年6月4日に、天皇皇后両陛下が
ご訪問された事でも話題になりました。


皆さんも、大自然の豊かな風景に
心を落ち着かせながら、ゆっくりと、


高野辰之の詞の世界を味わってみては
いかがでしょうか。


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高野辰之記念館

〒389ー2104
長野県中野市大字永江1809番地

tel 0269ー38ー3070

休館日
・12月1日〜3月31日までの間の祝日以外の月曜日
・12月29日〜1月3日
※4月〜11月は無休

観覧料 一般 300円
    高校生150円
    小中学生 無料
            2018、10、13 
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諏訪へ



この後、僕たちは中野の山を見ながら走り
高速「信州中野IC」から諏訪まで走ります。


「諏訪IC」を出ると左に大きなお店の
「自由空間」店に寄り、ワッペン4つ購入。


15時まで時間調整して
ホテルへチェックイン。

ホテル・ルートイン諏訪


ホテル・ルートイン諏訪で1泊。
ここ諏訪は以前泊まった事があるので
2回目です。



前日予約でツインが無かったので、
シングル2つで予約。


シングルルームでしたがWベッドで
一人ゆったり寝ました。

部屋

疲れていたためか20時ごろには
寝てしまい朝は6時に目が覚めた。


平日は一人6500円、
今日は土曜日なので7500円でした。


朝食のみ付いているので安く上がります。
ここの食事は美味しいので良いです。


(例外として柏崎はひどかったので
あそこはダメ)

部屋からの風景

それに奥さんは洗濯が出来るし、
コーヒーも飲める。


ツインでは無く、シングル2つ。
こういうスタイルが僕は気に入りました。

奥さんに邪魔されず、ゆったり寝られます。


朝食の後、
9時ごろにはホテルを出ました。






諏訪大社 下社春宮


今日は下諏訪の諏訪大社、春宮へ向かいます。


諏訪大社は全国に約1万社ある諏訪神社の
総本社。

春宮・正面鳥居



諏訪湖を挟んで上社前宮、上社本宮、
下社春宮、下社秋宮と2社4宮がありますが


前回、下社秋宮を参拝したので今回は
下社春宮を参拝させて頂きます。


ナビでホテルから約20分走り、下社春宮手前右の
駐車場(無料)に入りました。

神楽殿



正面鳥居からの雰囲気はほとんど
秋宮と違いが感じられません。


右横を歩いて行くと
何とも言えない神聖な空気が漂い、
気持ちが整いました。


神楽殿の後ろ側にある社殿も秋宮と
ほとんど同じに見えました。

本殿

参拝を終えた後、万治の石仏の
指示看板が目に入り、行ってみることに。


矢印に従って歩いて行くと
すぐ横に水が綺麗な砥川が流れています。


約170mほど歩いて行くと
万治の石仏が目に入りました。


説明によると、万治3年ごろに
作られたようです。

画像の説明



砥川沿に鎮座する万治の石仏は
自然石のてっぺんに、チョコンと


首が乗るアンバランスな風貌とユーモラスな
表情が何ともかわいいです。


イースター島のモアイに
少し似ているように見えました。

万治の石仏

正直、こんな面白い物は日本で
見た事がないほどで、本当に
驚きました。


胸には逆卍(まんじ)や雷・太陽・雲・
月・などの記号や絵があり、


手を組んだ右側には南無阿弥陀仏の文字が
掘られていました。

万治の石仏



これは大日如来を教主とする密教の
曼荼羅で阿弥陀如来と大日如来を一帯の


石仏に共存させた同体異仏を信仰する
密教集団の禅誓上人を祖とする浄土宗の
一派です。


万治の石仏は、この禅誓上人の
供養塔であるといわれています。

万治の石仏





















万治の石仏 お参りの方法


その1、正面で一礼する。

その2、「よろずおさまりますように」と
  心で念じる。

その3、石仏の周りを、願い事を心で唱えながら
  時計周りに三周する。

その4、正面に戻り「よろずおさめました」
  と唱えてから一礼する。



と、ありました。

 
私もやって見ましたら
目が回ってしまいました。




因みに、じょんのび庵の向かいの家の
マツさんの旦那さんの万治くんは
この万治くんを知っているのかな〜

万治くん





因みにこんな万治くんが
お土産さんに売られていました。



その頃にはもう12時になってしまったので
お昼ご飯を食べたあと、

近くにあるらしい、「しもすわ今昔館」
「おいでや」というところにナビをセットしました。






しもすわ今昔館 おいでや


おいでや

到着してみると春宮のすぐ近くでした。

この辺りは宿場町だったらしく、旅籠や
古い建物が目につきます。

いったい、「おいでや」とは何や?
と思いながら入ってみると
星ヶ塔ミュージアム 時計工房とありました。

画像の説明

もらったパンフレットには 矢の根や 儀象堂。
何が何だか難しくて
良くわかりませんです。ハイ!



ここでSEIKO社の時計を自分自身で
手作業で作ることも出来るようです。


つまり早い話が
SEIKO のミュージアムなのでしょう。

画像の説明

早速、作って見ようと思いましたが
少し小さな時計なので辞めておきます。


売店で完成品が4000円前後で売られていたので
若干安く作れるのでしょう!

奥に入っていくと
優しいおばちゃんが来て、中国風の


水運儀象台

時計の説明をしてくれました。


これは中国で900年以上前に作られ、
正確に時を刻む幻の天文時計を


正確に復元した水運儀象台と言われるもで
水を使い動作させ、天文時計という
世にも珍しいものだそうです。

時間になると右側から人形のおじさんが出て来て
色々説明してくれる。

画像の説明

水運儀象台は脱進機がついているので
水車のようにガーと回らず、一歯しか
送らないようにする機構がある。


これを枢輪(すうりん)と呼び水を受ける
パケットが36あって一定の水量になると


その重さで水車が一つカタンと周り
次のパケットがくる構造となっている。

画像の説明
画像の説明










画像の説明
画像の説明










画像の説明
画像の説明
















水運儀象台は水車を規則正しく回転させて
時を告げるだけではなく、


星や太陽の動きを調べて一年の長さを
測る天文台のような機能も持っていた。


大きさは高さ12m、土台の底辺の長さは
一辺が6m。

画像の説明

下諏訪町が世界で初めて復元し
一般に公開されたらしい。



中に入ると、建物は五重の塔になっていて
後ろにあるリングの上に人形が乗っている


デジタル時計それぞれが今何時かを示す
札を持って次々と出てくる。

2時間ごとに時初と時正に太鼓と鐘を
鳴らす人形もある。

水運儀象台は北床時代の1092年に
古都開封に現代のゼンマイ式時計と同じ

水運儀象台

仕組みで制作され、時間の誤差が出ないような
工夫がされ現代の時計のルーツとなりました。



ここの水はポンプで組み上げているそうですが
その昔の中国では人がやっていたとの事でした。













ここを見終わって奥を覗くと
別の建物があり、ここが「矢の根や」さん担当?

縄文人が黒曜石を産出する様子

「星が塔ミュージアム」になっているようです。


中に入って解ったのですが
その昔の縄文時代に
下諏訪で「黒曜石」を産出していたようだ。


その場所が「星ヶ塔」という場所だったのです。


これでようやく理解出来ました。

黒曜石

「星ヶ塔」は良質な黒曜石の原産地として
当時から有名でした。


縄文人が掘り出し中の後を
模型で実際のように見られます。


このガラスのような黒い石は
狩りをする為に、矢じりやオノなどを作る時に

石を細工して作ったもの

利用され、縄文人には無くてはならない
ものでした。


石匙という今でいうナイフも
黒曜石で作られていました。


多くの縄文人は、私たちのように
黒曜石マイナイフを持っていたようです。


その他にも縄文土器や石の飾り物などが
多数出土されておりました。

大きな縄文土器

余談にはなりますが
そんな世界最古の縄文人の一部は
日本を出て、あるものはムー大陸、アトランティス、
ヨーロッパ大陸などに移動して行きました。


縄文文明が世界に広がっていったのです。


メソポタミア文明、チグリスユーフラティス文明など
日本人が作ったものと今では判明しているようです。


ツタンカーメン王が子供の時は
北海道の洞爺湖の近くで叔父さんに
育てられたようです。


内浦湾で取れたクジラの肉が
アイヌによりすぐに献上されて
いたという記録があるようです。


母は日本人でトーヤと言います。
ツタンカーメンを産むと
すぐに殺されてしまいました。

イラスト



黄金の仮面が日本で作られたことは意外ですが
当時の技術では日本以外は考えられない
そうです。


ひょっとしてピラミッドは
日本人が作ったなどということも
出てくる可能性もあり得るかも。


そんなロマンいっぱいの
縄文人でした。





この後、僕たちは
元の建物に戻り二階に上がりました。

時計ミュージアム

ここはSEIKO の時計ミュージアムに
なっていて、江戸時代の時計から


現代の時計の様々な時計が
展示されていました。






画像の説明
画像の説明










画像の説明
画像の説明

















時計の歴史をおさらい


大昔は太陽の位置でおおよその時刻を
把握していたものと思われますが、

10,000年以上前から時刻を
計測する道具として日時計が使われていたようです。

そして、BC(紀元前)3400年頃には
エジプトで星により夜間の時刻を把握していたようです。

画像の説明

その後、水、ローソク、油など様々な素材を用い
「時」を計る時計が作られました。

1090年に中国では脱進機をもつ
大型の水時計
(水運儀象台-天文観測時計塔)が作られました。

(これの構造は先ほど見ました)

1300年頃には重りを動力とする
機械時計が誕生し、


1462年頃にぜんまいを動力とする
小型時計へと発達していきます。


1582年頃にガリレオ(イタリア)が
振り子の等時性原理の発見、


更に、1656年頃にホイヘンス(オランダ)が
それを時計の振り子に
応用する振り子時計の開発により、
画期的に時計精度が向上しました。


1675年にホイヘンスは
ひげぜんまいによるてんぷ式調速機を発明して、
携帯時計をつくりました。


その後、脱進機や調速機などの
改良が加えられて機械時計が発達しました。


18世紀にはパリ・ロンドン等で
手工業による時計産業が発達し、


19世紀にアメリカで合理的な
生産システムが開発されて
機械時計はめざましい発展をしました。

画像の説明



日本ではAD(西暦)671年に天智天皇が
漏刻(水時計)で時を計り
鐘や太鼓を打って時を知らせることを始めました。


江戸時代には時計師が、櫓(やぐら)時計、
尺(しゃく)時計、枕時計などの和時計を作り、

からくり儀右衛門こと田中久重は
1851年に和時計の万年時計をつくりました。


1872年(明治5年)12月3日に
明治政府は太陰暦を廃して、


1873年(明治6年)より
太陽暦を採用して定時法に移行したため
和時計の時代は終わりました。

画像の説明



1873年(明治6年)には八角型や
四つ丸型のぜんまい式振り子時計
(ボンボン時計とよばれていた)が

初めて輸入され、
その後日本各地で多くの時計メーカーが誕生しました。



927年にアメリカで水晶を使った
クオーツ時計が発明されますが、
それはタンスほどの大きさのあるものでした。


画像の説明

日本ではクオーツ時計の小型化・
実用化に取り組み、



1964年の東京オリンピックで
携帯可能なサイズの高精度な


クオーツ時計を完成させて
オリンピック競技の計測に使われました。


1968年にはクオーツ掛時計の商品化がなされ、
1969年(昭和44年)には時計史上画期的な


アナログクオーツ腕時計が発売されて
携帯時計の精度は飛躍的に進歩しました。

画像の説明

私の腕にも自慢げにクウォーツ時計が
はめられていました。

続いて1973年(昭和48年)には
液晶式デジタルクオーツ腕時計が発売され、又、


1999年(平成11年)及び
2001年(平成13年)に
標準電波送信所が開設され、

全国で正確な時を受信できるようになって、
電波修正時計が相次いで発売されました。






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しもすわ今昔館 おいでや

〒393ー0015
長野県諏訪町下諏訪町3289番地
tel 0266ー27ー0001

会館時間 3月〜11月 9:00〜17:00
     12月〜2月 9:30〜16:30

入館料:大人600円、小中学生300円

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宿場街道資料館

画像の説明

しもすわ今昔館を出て見ると
道路の正面に古そうな建物がありました。


昔の旅籠でしょうか?
いえ、民家の様でした。


近くへ寄って見ると
宿場街道資料館とありました。


なかなか良い雰囲気で
玄関を入ると右側が通路になっていて
奥までいけます。

宿場街道資料館

通路沿いには看板がいくつか掛けられ
当時を忍ばせます。



玄関を左に上がるとすぐ囲炉裏がありました。


簡単な自在の板状の魚なので
少しがっくりとしますが
鍋が掛けられていました。

玄関口を中から見る
看板











囲炉裏
階段ダンス











囲炉裏の上
御柱ひき様綱











蔵
奥にあるもの














江戸時代の宿場民家を保存する資料館は
宿場関係を中心に街道、温泉などの


貴重な歴史民俗の資料が保存・展示され、
当時の様子を知ることができます。


入館無料・定休日 月曜

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このあと僕たちは山梨県に入り
道の駅信州蔦の宿
道の駅白州などによりながら


韮崎を過ぎてから
国道20号線を右に曲がり走り


やがて増穂ICに乗り六郷で降りたあと
国道52号で静岡の家に帰りました。


今月もご覧いただき
ありがとうございました。

画像の説明



今年はこれにて終了しました。
次回は2019年 5月を予定しています。













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